「コロナ禍」はなぜ全体主義を呼び寄せているのか?(哲学者・仲正昌樹論考) |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「コロナ禍」はなぜ全体主義を呼び寄せているのか?(哲学者・仲正昌樹論考)

国民が「強いリーダー」を求めてしまう「落とし穴」と「人間の本性」


 コロナ禍によって、リベラル・人権派とされる人たちまで、市民の基本的権利の制限を意味する「緊急事態宣言」やロックダウンを待望した。その決断を渋る政府首脳を無能呼ばわりし、反対する人たちを人殺し扱いをした。八月に入ってからも、緊急事態の再発出を要求する政治家や医師会幹部を英雄視して、決断できない政府を責める論調が続いている。さらに、経済を回すことを主張する人たちの側にも、人命最重視派を、日本経済を破壊する偽善者と見なして攻撃する傾向が強まっている。
 これはいったい、社会と人間に今何が起こっているのか?
 哲学者・仲正昌樹氏が新刊『人はなぜ「自由」から逃走するのか~エーリヒ・フロムとともに考える』KKベストセラーズ、824日発売)で、「コロナ問題が人々の不安を募らせるなかで「大衆の心理」と「人間の本性」をあぶり出していると指摘する。

 今回、差し迫る社会変動に対して緊急書き下ろし論考を公開する!


「民主主義」を無邪気に信じこむ人たち

コロナ禍で強いリーダーシップを発揮していたかのようにみえた吉村洋文大阪府知事。次期首相候補などとも持て囃されたのも束の間、イソジン発言で人気は急落。

 

 「全体主義」という言葉を知っている人は、この言葉で形容される政治体制についてあまりいいイメージを持っていないだろう。個人の「自由」を認めず、「民主主義」を否定する、悪しき体制と理解している人が少なくなかろう。

 しかし、本当にそうだろうか?

 ベンサムの功利主義をより穏健な形に修正し、広く普及させることに貢献した経済・社会思想家ジョン=スチュアート・ミル(一八〇六-七三)は、近代政治哲学の最も重要な古典とされる『自由論』(一八五九)で、民主化された社会における「多数派の専制 tyranny of majority」の危険を指摘している。「多数派の専制」とは文字通り、その社会で多数派を占める人たちが、自分たちの考え方を、少数派に一方的に押し付けることだ。少数派の考え方、行動の自由は無視される。

ジョン=スチュアート・ミル

 封建制や専制君主制を打倒するための市民たちの闘争が行なわれていた時代には、世襲的な支配者、ごく一部の特権階層が「敵」だったので、民衆は互いに「味方」であり、自分たち多数派が支配する「民主主義」になれば、理性的な統治が行われ、各人が「自由」になれる、と信じることができた。

 無能な世襲君主による独断的な判断より、圧倒的多数の民衆が知恵を出し合って生まれた見解の方が、理性的に洗練されて正しいはずであり、宮廷の中でふんぞり返っている君主と違って、民衆はお互いのことをよく分かっているので、各人の事情に応じた生き方を尊重できるはず、と無邪気に信じることができた。

「民主主義」の敵は「少数派」

 しかし、「民主主義」が成立し、みんなで話し合ったうえで、政治の方向性を決定するようになると、一般民衆の間にも様々な価値観やライフスタイルの違いがあり、いくら話し合いを続けても、みんなの意見が完全に一致するのは不可能であることが次第に露呈してきた。

 宗教的な紛争の解決は当事者同士に任せ、政府は関与すべきでないのか?

 経済的不平等を解消することは国家の目標か、それとも各人の経済的活動の自由を尊重すべきか?

 避妊・中絶や同性愛をめぐる問題は、個人の自己決定に委ねるべきか?

 こうしたなかなか話し合いでは決着が付きそうにない問題が多数浮上してきて、それらをめぐって延々と議論が続くと、何も決定することができず、政治は進まなくなる。

 にもかかわらず、多くの人が「民主主義」に過剰な期待を抱き続け、民衆である我々の判断は常に正しい、という前提に固執するとおかしなことが起こってくる。

 “民衆の我々理性的な説得に耳を傾けようとしない者たちは、何らかの原因で理性が曇らされている者たちと見なして、強制的に目を覚まさせるべきと考えるようになる。場合によっては、民主主義の敵であると見なし、暴力的に排除しようとするようになる。

 そのように自己の正しさを確信した多数派による専制は、専制君主による専制よりも危険である。専制君主は圧力を加えられたら、自分の判断の正しさに自信を失うこともあるが、多数派は自分たちが多数派である限り、自分の正しさを疑う必要はない。反対意見が増えて、多数派から転落しそうになった時には、民主主義の敵を抹殺して、多数派の地位を保つことができる。

次のページ多数派の過ち”は誰が責任をとるのか?

哲学者・仲正昌樹氏
新刊『人はなぜ「自由」から逃走するのか~エーリヒ・フロムとともに考える』KKベストセラーズ、824日発売)

全体主義とは何か?

「右と左が合流した世論が生み出され、それ以外の意見を非人間的なものとして排除しよ うとする風潮が生まれ、異論が言えなくなることこそが、全体主義の前兆だ、と思う」(同書「はじめに」より)

なぜ今、「自由からの逃走」なのか?

 

仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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